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死者の夢、大地の記憶

千葉から東京に引っ越してきたばかりの頃の事です。その日の朝、布団にもぐったまま、私はリビングから流れてくる朝のニュースを夢現で耳を傾けていました。

アナウンサーがその日は東京大空襲の日であること、亡くなった人たちの慰霊祭が行われることを告げるのを聞きながら「あ~今日は東京大空襲の日か~」とぼんやり思ったその時、耳元ではっきり声がしました。

「ええ、そりゃ酷いもんでござんしたよ」

その瞬間、私の脳裏に白髪交じりの髪を小さな髷に結い、鶯色の肩掛けで口元を覆った老女の後ろ姿が浮かびました。

年齢は60歳くらいでしょうか(当時、60代は立派な年寄でした)。しゃきしゃきした話し方やイントネーションから浅草~深川あたりのご隠居さんという感じでした。

すぐに視界が一転し、私は暗闇の中を一人歩いていました。一歩踏み出すごとに足元が崩れ、眠っていた熾火がぽっと息を吹き返します。

再び画面が変わり、今度は古い映画を思わせる白黒画面に変わりました。公民館のような場所で老若男女が半そでのブラウスやランニングシャツを着ています。

そこに冬物のコートを着たサラリーマンらしき男性がやってきて「すみません、○○さんのご家族はこちらにいらっしゃいますか?」と声をあげました。

すると部屋の奥から半そでのブラウスを着た若い女性が走り出して「××さん、ご無事でよかった」と男性に抱き付いて泣き出しました。そこで目が覚めました。

スピリチュアルな事を勉強する前の出来事でしたが、これが単なる夢でなく霊的な出来事であるというのを、はっきり感じていました。

私に話しかけてきた老婆は、おそらくその辺りを彷徨っていた通りすがりの霊で、私が暗闇を歩いた場面や白黒画面の場面は、彼女が媒体となって引き出された土地の記憶かと思われます。

私の母は戦争経験者で、戦時中は千葉の木更津に疎開していました。東京大空襲の夜は東京が真っ赤に染まっているのが見えたそうです。

東京湾を挟んでかなり距離のある東京が炎で赤く光っているのが見えたのですから、実際に空襲を受けていた人々にとってはまさに地獄だったと思います。おそらく空襲で亡くなったであろう霊が縁もゆかりもないただ波長があっただけの私に訴えずにはいられなかったほどの。

あの夢から9年近くが経ち、微妙なイントネーションはあやふやになりましたが、私はいまでもあの独特な江戸弁とあの言葉が忘れられません。

「ええ、そりゃ酷いもんでござんしたよ」

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AKIKO

Author:AKIKO
サイキックカウンセラー
クリスタルを使ってヒプノセラピーやリーディング、カウンセリングを行っています。

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